昭和の時代の山風景
昭和の時代の山風景
私が山を始めたのは、昭和40年代後半からだった。
そのころの時代というと、社会人でもマイカーで行く登山
というのは少なかった。
大半の貧乏学生は夜行列車の四人がけボックスシートで仮眠を摂り、
夜明けの駅に降り立った。
リックにしても、キスリングが高校や大学の山岳部ではまだ主流だった時代。
ゴアテックスなんてとても買えなかった。
丈夫な綿のシャツを着て、ビブラム底の革の登山靴で沢も尾根道も岩場も歩いた。
いわゆる格好いい若者は、新宿や渋谷の都会に似合っていたが、
山男は、無骨でマイペースで汗臭くて流行とは無関係といった感じだったな。
だから、山に行く彼氏を駅のホームまで見送りに来る彼女なんて
まったくいなかった。
昨今、山ガールなんていうスマートな女性が山に来るようになったけど、
昭和の時代は、女子校山岳部の体形的にもいかにも強うそうな山女しか
山で見かけることはなかった。
力強いふくろはぎは、我々男性でも敵わないと思った。
時間もゆっくり流れていたような時代だった。
東京に住んでいたので中央線に乗って八ヶ岳によく行った。
アルバイトしてお金が貯まると山に入った。
時間はあるけどお金がなかったのでアルバイト必至。
お正月には、北八から入山して赤岳まで縦走した。
その時使っていたグリベルのピッケルは今でも部屋に飾ってある。
現代の物と比較するととても重い。
歳だから、ピッケルを使うような山に行くことは、もうあるまいと思うけれど。
中央線新宿駅発23時55分鈍行長野行き列車425
車体はブルー色で、車内は木枠のボックスシート。
当時は、灰皿も窓枠の下に付いていた。
向かい合って座れば、ほとんど膝と膝がぶつかる。
背もたれは垂直。よく長距離でも平気だったもんだ。
夏だと、夜明けは「ひのはる駅」あたりだった。
奥秩父の山へ行く者は、塩山とか韮崎で降りるため、
ここではもういない。
八ヶ岳は、小淵沢か茅野で下車。
北アルプスまで行く登山者は、この鈍行ではなく、
22時30分・新宿発の急行アルプス6号に乗っている。
夜行電車って、ビールでも日本酒でもなく、ウィスキーが似合う。
と思っていたのは、僕らだけかも。
(昭和49年)
帰りはちょっと贅沢して急行に乗車。
野辺山駅から東京まで、運賃800円。急行券200円。
ほんとに今思えば安かったなァ。
当時は、駅員さんものどかで、切符を記念にしたいと言えば、
無効のスタンプを押してくれました。
昭和49年当時の早朝の大正池
立ち枯れの木がたくさんあり、水深も
あったので、貸しボートがありました。
この時は二人山行だったので、一人ずつ
ボートを借り、穂高をバックに写真を
撮りました。
(昭和49年)
岳沢から前穂高へ。
デジカメなんて無い時代。
アサヒペンタックスの一眼レフに
広角、標準、望遠のレンズ3本
涸沢キャンプ場 一張り200円
ビールは背負って行ったのではなく、
涸沢ヒュッテで買いました
涸沢のお花畑と雪渓
松本から新宿まで急行券300円
岩魚止小屋。薪割りを手伝ったら、ドラム缶のお風呂に入れてもらいました。
夜は、囲炉裏を囲んで小屋主の話を聞いていました。
徳本峠から明神穂高連峰と徳本峠小屋で売っていた絵はがき
上高地の帰りは、松本で必ず「女鳥羽そば」に寄った。
三重ねそばが目的。
今は女鳥羽川の土手もきれいに舗装され、洒落た商店が建ち並んでいるが、
当時は、葦が生い茂っている土手のそばに、昔ながらの佇まいでお店があった
ように思う。
幼なじみが、松本のそばに住んでいたので、山の帰りに女鳥羽そばに連れて行っても
らったのがはじまり。
登山の服のまま松本城も見物。東京までのアルプス急行券は500円。
昭和54年頃の冬山の服装。お金がなかったわけではなく、これが標準でした。
1月3日・八ヶ岳硫黄岳石室。当時、稜線の小屋は、硫黄岳しか開いてなかったと思う。
硫黄岳付近
赤岳鉱泉から登ってきた単独行者
横岳、赤岳、阿弥陀岳
昭和56年頃の小海線 野辺山駅
この「学」の意味を忘れました。
当時、学割乗車券なんてあったのかなァ
昭和49年の800円との違いも思い出せません。
北八ヶ岳・高見石小屋 昭和56年3月
成人式山行
満20歳になった翌年の1月15日、高校時代の友人と二人、
成人式を赤岳の頂上で祝おうということになり、1月13日夜の
新宿発夜行列車に飛び乗った。
14日は、赤岳鉱泉まで。赤岳や横岳の大同心、小同心が雪煙を
あげて雄姿を誇っていた。
15日、赤岳鉱泉から硫黄岳〜横岳〜赤岳と縦走し、美濃戸山荘
で祝杯をあげた。
16日、真っ黒に日焼けした顔で、東京の生活にもどった。
大同心 小同心
赤 岳
赤岳、権現岳、阿弥陀岳
山行日記
おそらく街は色鮮やかな振袖の着物や折り目のぴっちりした新調のスーツを
着飾った二十歳の若者たちで賑わっていることだろう。
今日は成人式だ。
いつもの山行と変わりない着古されたヨレヨレの山シャツと踵のすり減った山靴。
新宿駅を夜行列車で出て以来、風呂にも入らず、汗が乾いてパサパサの髪と、
雪焼けしてあんまりきれいに見えないお前と俺の顔。
日はとっくに暮れている。あたりは透きとおった氷に月の夜の淡い空色を溶かした
ような雪灯りにつつまれている。ヘッドランプをつける必要もなく、単調な自分たちの
足音だけがこの世界にぎこちない。
時折、樹林が疎になると、はるか下界の街の灯りが見える。
「諏訪かなぁ。」俺への問いかけか、彼の一人言かわからないようにつぶやく。
彼のそばに立ち止まる。街の灯りは遠い北の海のいかつり舟の漁り火をそのまま
雪の海に移したみたいだ。
長い行程の疲れは一度動きを止めてしまった身体に、次の言葉と足を再び
下山路に向けることをはばむ。長い沈黙にも慣れていたが、風もやんで何の音も
しない。静けさが痛くなってくる。
ピッケルをふって山靴の雪を落とし、その音に気付いて振り返った彼に、目で
”行こう”と合図する。黙ったまま再び、ぼくらは歩き始める。
美濃戸山荘のランプの下で、ぼくらは地図を広げた。
そこにぼくらの歩いた八ヶ岳稜線をたどりながら、残っているウィスキーを
分け合って乾杯した。
成人式を山でおくろうというぼくらの目的は終わりを告げ、最後にこの長かった
八ヶ岳縦走の一日を、地図の上の赤鉛筆の跡に残した。
1月15日 美濃戸山荘にて